長崎県立大学新聞会
SPECIAL INTERVIEW
INTERVIEWEE
川上 泰徳
【川上 泰徳(かわかみ やすのり)】
■1956年生まれ。長崎県出身。
■佐世保北高校卒業後、大阪外国語大学アラビア語科卒。
学生時代にカイロ大学留学。
■朝日新聞社に入社し、カイロ、エルサレム、バグダッドなどに特派員として駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを取材。
■中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。
■中東報道で2002年度の「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞。2015年から夏・秋は中東、冬・春は日本と、半々の生活でフリーランスとして活動。
SPECIAL INTERVIEW
佐世保の出身で、「『イスラム国』はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想」(集英社新書)や「中東の現場を歩く 激動20年の取材のディテール」(合同出版)の著書としても知られる中東ジャーナリストの川上泰徳さん。
今回、新聞会による「川上泰徳 特別講演会」を終えた川上さんに、メディアの在り方から、ISISやアサド政権を始めとする中東の現在まで、特別インタビューを敢行しました。
佐世保を故郷にもつ中東ジャーナリストが考える、学生に対するメッセージとは。
インタビュア―/新井 輝 新聞会前会長(現・顧問)
松本 泰治 新聞会最高顧問 ほか
(新 井)川上さんご自身が考える、ジャーナリストの使命は何でしょうか。
(川 上)中東の現状を伝えるジャーナリストとしては、いずれの立場にも立たず、問題を武力で解決しようとする「ミニタリズム」に批判的な立場に立つということでしょう。
例えばシリア内戦で、政権側でも、反体制側でも、どちらの側が勝ったとしても、ミニタリズムで政治を行えば、犠牲となるのは市民です。そうした犠牲者となる市民の立場に立つのがジャーナリストの仕事だと考えています。
結局は、話し合いを経て、パワーシェアリングするしかありません。戦争が起きてしまえば、市民が兵士や戦士になることを強要されたり、難民として生活を奪われたり、市民生活を続けることはできなくなってしまいますから。
私が中東に行って伝なければならないのは、戦争の状況ではありません。人々の表情や心情に触れて、そこから社会を読み解き、取材を重ねて、現実を伝えていくことが、私のジャーナリズムとしての仕事です。今はジャーナリズムそのものを、市民が動かす時代になってきています。そうした中で、日本でも市民社会がジャーナリズムを支える必要性がありますね。
私は新聞社を離れて3年目になりますが、1年の半分は中東にいる生活をしています。それは、日本にいると中東と6時間から7時間の時差があり、中東で夕方から夜にかけて何か事件が起こっても、日本では深夜から朝の時間帯で、日本で朝起きたときには事件は終わってしまっているからです。ジャーナリストである以上、自分の専門の領域において、他のメディアを通じてニュースを知ってはいけません。既に作られてしまったニュースを読んで状況を判断してはいけない。ニュースが作られる前の中間、出来事が進行している途中の過程を見ることが必要なんです。
ファクトが何なのか、論評やアクセントの違いを見ていくこと。そして、最初に何が起こったのか、それが起こった背景は何かをジャーナリストは抑えなければいけません。
事件や事故が、ニュースとして拡大するまでの過程を見なければ、それは何も見ていなかったことと同じになってしまうのです。情報が確実になっていく、そうしたニュースの流れを見ることも、ジャーナリストの仕事の一つでしょう。
(新 井)そうした、事件や事故が「ファクト」として、手垢の付かない状態で「ニュース」として出来上がっていく過程を担うことがやりがいになってくるわけですね。ニュースを作る/届ける側としての覚悟といいますか。
話の延長になると思うのですが、そうした取材活動の中で、技術として気を付けていることは何でしょうか。
(川 上)取材するにあたって、重要となってくることは「ファクト」のどの部分に焦点を当てるかということです。
ファクトのどこを強調するかで、立場というものは生み出されるわけです。
一般的なメディアを見てみても、ニュースは作られて構成されたものですから、あるものを強調させて、あるものは強調させないという性格(=立場)が発生します。
もっと言えば、ファクトでないものをニュースに埋め込んでしまえば、それはメディアとは言えません。自分の功名心のためにジャーナリズムを裏切ってしまう人間は、ジャーナリストをやっていられませんからね。
そして、ここの下支えとして重要となってくることが市民の存在です。もちろん、メディアリテラシーも必要になります。
メディアリテラシーで言えば、近年のSNSの台頭にも言えることでしょう。今や、新聞やテレビが情報を支配する時代ではなく、市民ジャーナリズムの方が速報性がある時代です。
ただ、SNS上でのメディアリテラシーは途上でもあります。
メディアリテラシーがないままにSNSの世界に入ってしまうと、ファクトなのかフェイクなのかが淘汰されない状態で情報交換が行われてしまいます。
結果として、SNS上にフェイクも蔓延してしまうわけです。かつて情報を社会に向けて発信するのは新聞やテレビ、雑誌などで働くジャーナリストでしたが、今はSNSを通じて、市民が情報発信や拡散ができます。そうなると、市民にも情報発信者として何が本当なのかを判断しなくてはならないという自覚や責任が必要となります。
いずれにしても、市民としてメディアリテラシーを身につけていくことで、政治的な差異を超えて、必要な情報を発信するというジャーナリズムを市民社会にいかにして取り戻していくかが重要になってきます。
人々の表情から
社会を読み取り、
それを伝えることが、
ジャーナリストの役割。
(新 井)シリアやイラクを中心にして、ISISやボコ・ハラム、それからアサド政権の暴走、ヤジディ教徒の悲劇……と、日本人が知らなければならない惨劇が繰り広げられています。
結果論となってはしまいますが、やはりアメリカ軍がイラクでの政権移行/確立が途上のまま、シーヤ派とスンニ派の争いを放置して撤退してしまったことが大きいのではないかと考えています。イラク戦争も含めて、今のISISの台頭まで、川上さんはどのような考察をされていますか。
(川 上)そうですね。イラク戦争自体、するべき戦争でなかったことはよく知られている通りです。
やはり半分、結果論となってしまいますが、イラクではイスラム教スンニ派、シーヤ派、クルド人……など、様々な勢力が存在する中で、戦争によって政権を倒せば、その後の状況が酷いこととなる想定はされていました。
社会の発展を考えれば、たとえばイラクでも「アラブの春」のような民主化運動が始まる可能性もあったわけです。イラク戦争は、そういった可能性をことごとく潰してしまったわけです。9・11同時多発テロの後の対応は、無謀な戦争に走るのではなく、テロの首謀者を追いつめるような国際的な協力態勢をつくるべきでした。
いつの時代においても、戦争を起こせば、それが暴力の蔓延になることは考えるべきですからね。実際にイラク戦争の後、反米勢力が広がる中で、米軍撤退までの過程で多くの米兵が死ぬことにもなりました。
今のシリア内戦で、政権も、ISISも、クルド人勢力も、すべてが軍事化してしまった最大の要因は、米国がイラク戦争を始めてしまったことですから。
そこで米国が政治的な手立てを打てなかった/打たなかったことが、そのまま自分たちを危うくし、多くの米兵の命を失って、撤退を余儀なくされたわけです。
(新 井)今の学生を始めとする若い人に伝えたいことはありますか。
(川 上)まず、単純に新聞を読んでほしいですね。
新聞は、ニュースの風景です。
どのニュースが一面のトップになっていて、2面にはどんなニュースが掲載されているのか。それぞれの面のニュースの構成には、新聞社で議論された意思の反映があるわけです。
新聞を見ることで、その日の日本と世界のニュースが見えることになります。
特に、大手であれば、新聞社は千人単位で記者がいて、情報を集めるプロ集団なわけです。それを職業としている、その「メディア」を人々が利用しないのでは損失でしかありません。それだけの大きなエネルギーを通して、毎日作られていますからね。
もちろん、新聞を一週間読んだだけでは、なかなか見えてくるものも少ないでしょう。
ただ、新聞を生活に一年間でも組みこむことで、見ることのできる社会は変わっていきます。
流れや自分の中の蓄積を身につけることが大切で、その中からテレビや新聞などマスコミが伝えることに対して、批判的に読む姿勢も生まれてきます。
日々のニュースに接することで、流れも見えてきて、何が変わって、何がおかしいという「気付き」も生まれてきます。
それを踏まえて、次の段階ではメディアを批判的に見たり、比較を通して批評する力を養ってほしいです。
(新 井)最後に、今後の日本/日本人のあるべき姿を、どう考えていますか。
(川 上)日本は、中東に9割近くエネルギーを依存しています。
そうした観点からも、もっと中東に対して、きちんとした関与を日本政府はするべきでしょう。ドイツは100万人の難民を受け入れるという判断をしました。ドイツと同様に、世界で一番高齢化の進んでいる日本に、若い労働力を供給していくという視点から、難民の受け入れを議論しても良いわけです。
日本も含めて先進国が難民として受け入れることで、シリア内戦で500万人以上が難民化した人々が、教育や就職の機会を奪われ、内戦が終わった後も「失われた世代」となって社会不安の要因となるのを防ぐ必要があります。
シリア内戦については、日本人の多くが遠い世界のこととして考えているでしょう。しかし、我々日本人は、70年前に多くの空爆を受けました。それと変わらない状況が、今のシリア内戦やアレッポなど反体制地域への空爆として繰り広げられているんです。
空襲/空爆で大勢の市民が死んだという歴史から、それは70年前の古い記憶というだけでなく、世界で今も空爆は続いているということを認識しなければなりません。何も済んだことではなく、過去のことではなく、空爆に今も遭っている人々がいるということを我々は認識して、人間の経験として、今に繋げようとしなければならないのです。
私は今朝も佐世保の旧戸尾小学校にできた空襲資料室に行ってきました。私の亡母は佐世保で生まれ、戸尾小学校に通い、13歳で佐世保空襲の中を逃げ回った経験を生前、繰り返し語っていました。学生を始めとした若い皆さんに足を運んでいただいて、自分たちの未来のためにも、自分の知らない世代を生きてきた人々との関わり/証言に触れてみてください。